最終更新日 2026年10月6日 by ineyard
はじめまして、佐伯遥です。
百貨店の和雑貨・工芸品売り場でバイヤーを12年務め、いまは和文化や観光地の小売を取材しながら、売り場づくりのお手伝いをしています。
最近、「かんざしや和傘の店を観光地で開きたい」「着付けや工芸の体験教室を外国の方向けに始めたい」という相談をよく受けます。
売り場にいた頃、海外からのお客様が一気に増えた時期を経験しているので、その気持ちはよく分かります。
ただ、勢いだけで始めると苦しくなる分野でもあります。
この記事では、最新の統計と、実際に和文化の小売を大きく育てた経営者の歩みをもとに、始める前に知っておいてほしいことをまとめました。
数字で見る訪日客と和文化
2025年は過去最高、2026年は国ごとに明暗が分かれている
まずは市場の大きさから確認します。
日本政府観光局(JNTO)の訪日外客統計と、観光庁のインバウンド消費動向調査の数字を並べると、次のとおりです。
| 年 | 訪日外客数 | 訪日外国人旅行消費額 |
|---|---|---|
| 2019年(コロナ前) | 約3,188万人 | 4兆8,135億円 |
| 2024年 | 約3,687万人 | 8兆1,257億円 |
| 2025年 | 約4,268万人(過去最高) | 9兆4,549億円(過去最高) |
消費額は、6年でほぼ2倍になりました。
2025年の内訳は宿泊費が36.6%、買物代が27.0%、飲食費が21.9%です。
一方で、2026年は様子が少し違います。
1〜8月の訪日客は累計約2,763万人で、前年同期より2.7%少なくなりました。
中国からの訪日客が56.7%減ったことが大きく響いています。
ただし、どの国も減っているわけではありません。
同じ期間に韓国は21.2%、台湾は19.8%、米国は6.1%増えています。
「訪日客が増え続ける」と一括りにせず、どの国のお客様が来ているのかを見ておくことが、これから始める人には欠かせません。
伝統文化体験は「した人は3割、満足度は9割超」
和文化で起業する人にとって、もっと気になるのはこちらの数字だと思います。
観光庁の2025年の調査では、滞在中に「日本の歴史・伝統文化体験」をした人は32.7%でした。
実際に体験した人のうち、満足したと答えた人は95.6%にのぼります。
体験した人は3人に1人ほど。
それでも、体験した人のほとんどが満足して帰っています。
まだ体験したことのない人にどう届けるかを考える余地が、十分に残っているということです。
次の旅行でしたいこととして伝統文化体験を挙げた人も29.3%いて、2024年の26.8%から少し増えました。
国による違いも大きく、フランスや英国では7割以上が伝統文化体験をしています。
民芸品・伝統工芸品を買った人は全体では8.3%ですが、米国からの旅行者に限ると19.0%まで上がります。
売り場にいた頃も、欧米のお客様ほど作り手や産地の話を熱心に聞いてくださったのを覚えています。
和心・森智宏さんの歩みにみる和文化ビジネスの実際
統計だけでは、商売の手触りは伝わりません。
そこで、かんざし専門店「かんざし屋wargo」や和柄傘の「北斎グラフィック」を展開する株式会社和心の代表、森智宏さんの歩みを見ていきます。
観光地を取材で歩くと、この会社の店を目にする機会が本当に多いです。
6畳の部屋の和柄アクセサリーから始まった
和心の始まりは1997年です。
同社の沿革によると、森さんが当時身を寄せていた埼玉県川口市の親戚の家の一室で、和柄アクセサリーブランド「かすう工房」を個人事業として立ち上げました。
経営者インタビューサイト「社長名鑑」の取材で、森さんは大学1年のときに高校の同級生と起業したと話しています。
きっかけは、ある先輩からの「好きで得意で、求められていることをやれ」という助言だったそうです。
最初の数年は、全国のフリーマーケットやデザイン系のイベントに出店して販路を探していました。
2003年に株式会社和心を設立し、2005年に「かんざし屋wargo」を立ち上げます。
2018年には東証マザーズ(現在のグロース市場)に上場しました。
「ファッションの店」から「お土産の店」へ
私がこの会社で一番興味を持っているのは、店の位置づけを変えた決断です。
森さんは同じインタビューで、こう振り返っています。
「現場の販売員から『海外のお客様がみんなお土産として買っていかれる』と報告を受けました」
当初はファッションとして和のカルチャーを広めるつもりでした。
それでも、お客様の買い方に合わせて「お土産の店」に振り切ったといいます。
アパレルへのプライドを捨てて「格好より中身」を取りにいった、という言葉も残しています。
バイヤーをしていると、作り手や売り手が「こう使ってほしい」と考える姿と、お客様の実際の買い方がずれる場面によく出会います。
そこで売り場の声に合わせられるかどうかが、店が伸びるかどうかを左右します。
訪日客がいなくなった2020年と、その後
ただ、順調な話ばかりではありません。
2020年、新型コロナの影響で訪日客は前年より87.1%減りました。
森さんによれば、月3億円を見込んでいた売上が300万円ほどにとどまり、前年比0.9%まで落ち込んだ月があったそうです。
和心の開示資料では、2020年に53店舗を閉め、年末の店舗数は43店舗になりました。
2020年12月期から債務超過が続き、解消できたのは2023年12月期でした。
2022年の年末には着物レンタルの事業も手放しています。
森さんは、この時期を商品や店づくりを立て直す期間にあて、「ひたすら『刀を磨き続ける』思いで取り組みました」と話しています。
無駄を削った状態で客足の戻りを迎えられたことが、その後の立ち上がりにつながったそうです。
そこから業績は持ち直しました。
2025年12月期の売上高は約27.8億円で前期より32.8%増え、営業利益は約5.7億円です。
年末の店舗数は35店舗、2026年6月末には38店舗まで増えています。
2026年1〜6月の売上高も前年同期より28.2%増え、来店客数は28.9%増えました。
森さん自身は、店舗数がコロナ前の約40%に減った一方で、全店の売上高は当時の220%、利益は4倍ほどになったと語っています。
店の数を追うより、一店ごとの売上と利益を高めた結果だと受け取れます。
森さんがどのような事業に関わってきたかは、オープンイノベーションのプラットフォームCrewwに載っている和心代表・森智宏さんのプロフィールでも確認できます。
和小物やインバウンド向けの店だけでなく、アニメ関連のグッズ制作やサウナ付きの宿泊事業にも取り組んでいることが書かれています。
起業する前に押さえておきたい6つのこと
ここからは、統計と和心の歩みを踏まえて、これから始める人に伝えたいことを順に挙げます。
「外国人向けだから」で品質を下げない
森さんは商品づくりについて、「外国人が好むから、この程度でいい」という妥協を社内で禁句にしていると話しています。
大切にしているのは、日本人が本当に良いと思う商品をつくり、それを訪日客の多い場所で売ることだそうです。
かんざしの専門店には1800種類、合計1万本のオリジナル商品を並べ、傘は工場と20万本単位で契約しているとのことでした。
安さで勝負する土産物は、すぐに似た商品が並んでしまいます。
品数と品質で、ほかの店が簡単にはまねできない売り場をつくっているわけです。
特定の国や客層だけに頼らない
2026年の中国からの訪日客の落ち込みは、一つの国に頼るリスクを分かりやすく示しました。
和心も成長可能性に関する開示資料の中で、日本人のお客様や地域の住民も狙った分散出店を徹底していると説明しています。
百貨店の売り場でも、海外のお客様の波が引いた時期に店を支えてくれたのは、国内の常連のお客様でした。
開業前に、次の点を確かめておくと安心です。
- 想定している客層は、どの国・地域が中心か
- その国からの客が半分になっても、店は続けられるか
- 国内のお客様にも買ってもらえる商品と価格になっているか
固定費は「売上が止まった月」で計算しておく
観光地の店は、家賃が高くなりがちです。
コロナ禍の和心では、毎月数千万円単位の家賃と人件費がかかっていたと森さんは話しています。
事業計画を立てるときは、売上が順調な月だけでなく、売上がほとんど入らない月に何か月耐えられるかも計算しておきましょう。
大きな路面店から始めるより、小さな区画や催事への出店で反応を見るほうが、失敗したときの傷は浅く済みます。
小さな事業者の動きを見ると、まだ参入の余地はありそうです。
日本政策金融公庫総合研究所の2025年4〜6月期の調査では、インバウンド需要を取り込む取り組みを実施している小企業は5.4%にとどまりました。
見つけてもらう経路と支払い方法を整える
店を開いても、旅行者に見つけてもらえなければ始まりません。
観光庁の2025年の年次報告書によると、出発前に役に立った情報源は「SNS」が43.3%、「動画サイト」が39.6%、「個人のブログ」が23.9%でした。
和心も2026年中間期の決算説明資料の中で、好調の理由の一つに「動画を利用したSNSからの集客」を挙げています。
商品の見た目が魅力になる和小物は、短い動画との相性が良い商材です。
支払い方法も確認しておきましょう。
同じ報告書では、訪日客が使った決済手段は現金が92.3%、クレジットカードが75.0%、交通系ICカードが36.2%、モバイル決済が20.9%でした。
現金だけ、カードだけに絞らず、複数の手段を用意しておくと取りこぼしが減ります。
2026年11月からの免税制度の変更を知っておく
観光地で物販をするなら、免税制度の変更は避けて通れません。
国税庁のリファンド方式特設ページによると、2026年11月1日から免税店の制度が「リファンド方式」に変わります。
| 項目 | これまで | 2026年11月1日から |
|---|---|---|
| 販売時の価格 | 免税価格で販売 | いったん税込価格で販売 |
| 消費税の扱い | 店頭で免除 | 出国時に税関の確認を受けた後に返金 |
| 対象金額 | 一般物品・消耗品で別々の基準 | 区分をなくし、5千円以上に一本化 |
| 消耗品の上限・特殊包装 | 上限50万円、包装が必要 | どちらも廃止 |
免税店の許可を受けられるのは消費税の課税事業者で、ネットショップは免税販売の対象になりません。
免税の手続きや返金の仕組みをどう整えるかは、出店の計画と一緒に考えておきましょう。
作り手との関係を長い目で考える
和文化の商品は、作り手がいてはじめて成り立ちます。
経済産業省の資料によると、国が指定する伝統的工芸品は244品目あります。
その一方で、産業の従事者のうち50歳代以上が63.6%を占めています。
売れる商品が見つかっても、数年後に同じものを仕入れられるとは限りません。
単価の交渉だけでなく、発注の量や時期を早めに伝えるなど、作り手が続けやすい取引を心がけることが、結局は自分の店を守ることにつながります。
まとめ
訪日客は2025年に過去最高を記録し、伝統文化体験をした人の満足度も9割を超えています。
一方で、2026年は国によって増減が分かれ、一つの市場に頼る危うさもはっきりしました。
和心の森智宏さんの歩みからは、次のことが見えてきます。
- お客様の買い方に合わせて、店の位置づけを変える
- 「外国人向けだから」と品質を妥協しない
- 売上が止まっても耐えられる体制を考えておく
- SNSや動画で見つけてもらう工夫を続ける
これから始める方は、まず小さく出店して、どの国のどんなお客様が何を手に取るのかを自分の目で確かめてみてください。
売り場で拾った声が、次の商品と次の店を決める一番の材料になります。